おいどん市場お魚コーナーの久保店長はなぜネクタイをしているのか?

12月 28th, 2013

年末ですが、、他の月と同じように選べば、今月の一押しは『いじめへの反旗』になるでしょうか。

わたしが三分の一ほど読んだところで、中1のむすめが読みだして、

半分ほど読んで置いてあったので、わたしが全部読んで、

そのあと、むすめが続きを読みました。

・・・

中2の主人公が、弁護士事務所を2度訪れたあたりかな、というページ数を残して読んでいるむすめに聞いてみた。

「誰が一番むかつく?」

即答だった、

「出てくるおとな全員」

「ほう、弁護士も?」

「弁護士の女の人はまぁ、いいかな」

という会話をして、

また、

全部読み終えたむすめに聞いてみた。

「誰がわるい?」

答えは

「うーーん、なんか、わかんなくなってきた」

だった。まぁ、立派な感想である。

父として、

笑みを浮かべつつ努めて感情的に、

「あのガキ共だろ」

と言ってやった。

 

年末でなければ、親子で読めたという理由で一押しだったと思います。が、

年末なので、1年を振り返ってみたとき、、などというテイストを加えてみると変わってきます。

12月の一押しは『バーのマスターは・・・』。

タイトルの巧さです、鹿児島県水産業のあるエピソードが重なりました。

おいどん市場で試食販売会をしたのは2度目でした。販売会は販売会で盛況に終えることができ、書きたいことはたくさんありますが今日はその後の話。お魚コーナー試食販売会の関係者数名で枕崎へ行き、あちらの漁業者と夜遅くまで飲んで、代行運転を40分ほど待って、山口さんちの別荘に野郎4名でパンツいっちょで雑魚寝。いえ、大魚寝。そのとき久保店長から聞いて、意気投合し一気に距離が縮まったおもしろい話が、、久保店長はなぜネクタイをしているのか。

本のマスターと同じ着眼点ながら、まるで反対の方向性(?)なのがとても面白い。

方向性が逆かどうかは、読んで、おいどん市場へ行って、確かめてください。同じ方向性とも言えるのですが・・・。ちなみに、本ではネクタイのことはほんの少ししか触れられていません。サブタイトル(僕が渋谷でワインバーを続けられた理由)の方が内容をあらわしていると思います。

久保店長は女子大で講師も務める先生でもありますが、だからおいどん市場でネクタイをしているのではありません。いままでの経験(家電量販店に勤めていたこともあるとか)から、ある問題点を意識してネクタイをしています。わたしの、ピアノの生演奏と蝶ネクタイで解体ショーをしてみたいという思いと似ている気がしました。

でも、反対の方向へ暴走している可能性もあり(笑)、解体ショーに関しては、久保店長のお魚コーナーの今後を見守りながら判断していきたいと思います(大笑)。

おいどん市場へ行けば、すぐに久保店長はわかります。ああいう直売所でネクタイしているのは店長だけです。

でもたまに、ネクタイを外してYシャツだけというパターンもありますが、千と千尋の・・・カオナシと似ています。特に後半の小さく元のサイズに戻ったカオナシ。ニソッと笑って接客、陳列、捌きをやっているのが久保店長です。すぐに分かります。

あ、イジメとか言われそうなのでこの辺で。

県漁連や県職員から無理難題を押しつけられながら頑張ってらっしゃいます。

さて、副タイトルの「・・・なぜ続けられたか」

ことしは、ツノが6の六ジカにたくさん関わった1年でもありました。2011年の地デジカは実家が高いテレビを買ったくらいでしたが、、。

バーの店長も、久保店長もこだわりをもって仕事をされているのがとても素敵です。本物の六ジカだなと思いました。規模の違いはあれども、本田圭佑ではありませんが、最終的には”個”です。

ま、いいようですが・・・。

文化祭的ノリでキャピらせて、組織づくりをして、出口が大事と煽っても、続かないのは予算消費のための、その利便性をあげるのが主目的ですからー、、内部圧をあげるのがさきーなどと言うのと同じかもね。

そう単純な話ではありませんし。

お父ちゃんの読む本はおもしろいと思ったか、

読み始めた。

が、

中1文系女子には複雑すぎたか、

帯を外すな!カバーを外すな!汚すな!と言い過ぎたか、

分かりやすいDVDを見せてあげると言ったのを期待しているのか、

すぐに放置された。

・・・・・

春夏秋冬のセルフカバーが1988の冬で、元号が変わる直前でした。

予備校生の冬にまちなかで耳にした。なにも変えることが出来ないので、「すべてが変わる」「すべてが始まる」のフレーズが好きでした。

2014バージョンは聴いたことがないのでたのしみです。

それでは今年はこのへんで、

皆様、どうぞよいお年をお迎えください。

トゥルーcollar

11月 25th, 2013

本を読んで、目頭が熱くなる、というのはよくありますけど、

涙が頬をつたう、というとこまでいっちゃうのはなかなかありません。

体調のせいもあったか?でも、それが理由で今月の一押し『カウントダウン』。

今月は鹿児島中央駅でいろいろ買っちゃったのでエントリーも豊富。なのでとても迷いますが、市長選というタイムリーな内容でもあるし、、「泣いた」は一番を決める理由として充分でしょうということにしました。
例えば、今年TVで注目された、池井戸さんの小説のような盛り上がりどころはありません(もちろん私的な感想です)が、それがかえってリアルなんです。淡々とストーリーはすすみ、父の死の真相が分かるところでグッと来て目頭が熱くなり、すべてを知った主人公の冷静な言葉に、しんしんと泣けちゃいます。
池井戸さんの半沢シリーズが、「サラリーマンあるある小説」だとすると、佐々木さんの『カウントダウン』は、「市町村あるある小説」とでも言ったらいいでしょうか。作者ご自身の出身地、北海道夕張市の長期取材を元にして書き上げているようですが、なんとも、衰退する地方とか産業とか、どこも同じなんだよなぁなんて、しみじみ思うのです。思ってそして、、自分が責められているようで、体がだるーくなっていきます。こういうとこはお勧め出来ませんけど・・・。

解説は、
政治を軽蔑するものは、軽蔑すべき政治しか持つことが出来ない。と、『魔の山』の引用ではじまり、
『カウントダウン』は”全国最高の住民負担で、全国最低の行政サービス”しか受けられなくなった幌岡/夕張市民の溜飲を下げるための復讐小説ではない。この国に暮らしていながら、この国の政治を軽蔑しがちな多くの人々に向けて書かれているのだ。
と結ばれます。

ちょっとググって、ウィキってみました。

池井戸潤http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E4%BA%95%E6%88%B8%E6%BD%A4

佐々木譲http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E8%AD%B2

御両名の年齢と経歴を比較してみて、

ホワイトな感じとブルーな感じ、小説に出てると私は思います。
どっちの目線も持ちたいな、と欲張りな私。

どう伝えようか、あれこれ悩む私に、
県知事をお迎えする打ち合わせのとき、奥原さんは言いました。
「ケンジさんの立場で言えばいいんですよ」と、
笑いながら。

偽物は本物そっくりだカラー

11月 22nd, 2013

娘が「サヨナラCOLOR」は知っていました。学校の給食時間にかかっているのだとか。

ぼくは、ずっとずっと森林水文にこだわってきて・・・、
ただそれだけ。
こだわってたら、海に出ちゃいました。
ただそれだけだカラー。

それは、Uターンじゃないし、
町おこしにそんな、興味はないし、
政策用語な六次産業化をやってるつもりもない。
そんなこと言うのは、偏屈だカラー。

でも、奥原誠プロデュース「ブルツーCOLOR」のエンドロールには名を連ねたいですねー。それができれば、やっと、
ベースキャンプに辿り着いた、そんな感じですかねー。

 

アタックの前に、

しばらくは、ベースキャンプの整備に時間がとられそうです。

そして、ぼくの「波風立てられたら漁に出られないカラー」のエンドロールにはあなたの名前が必要です。

犬の散歩について語るときに僕の語ること

11月 1st, 2013

鈍痛に嘔吐き、イライラし、痛さに寝ることも出来ない。病院に行っても一向によくならない左の肩胛骨あたりの痛み。運動が一番よく効くのだろうと思ってはいたけど、薬局でもらった鎮痛剤とビタミン剤に期待して2週間飲み続けた10月でした。
でも、一度だけ走った。
三儀山の周回2kmのクロカン(?)コース。道幅は2mか、もう少しあるかも知れない、全面芝生で覆われていて、橋を架け、川を二度渡り、駐車場の出入り口を上から越えていく。2kmのあいだに信号もなく、誰にも邪魔されない。
とても気持ちいい設計に、歩くつもりが走っていました。


そんな10月に、村上春樹氏の『走ることについて・・・』のタイトルをみつけ、ついついマウスでポチッと購入決定。
毎年のようにノーベル文学賞が期待される作家が、わたしの得意分野で何かを書いているらしいので、物理学賞やら医学賞だと理解不能かもしれない受賞者のすごさ、それを、「どれどれ私がその表現力を審査してみようではないか」という上からな趣向で。
結論としては、「さすが」としか言いようがありません。この10月まで知らなかったけど、村上春樹が走ることを趣味にしていて良かった、そう思えた。あの心地よさ(?)を分かりやすく、たぶん根こそぎ、言葉にしてくれていた。とても内向的な雰囲気をお持ちの氏は、お友達にはなれないタイプと思っていたが、きっと気が合うと思った(どこまでも上から)。

さて、犬の散歩について語ろうと思ったけれど、これを語るには『走ることについて・・・』と同じくらい書かないといけないので、またいつかにするとして、

ハズレな雰囲気もあわせもつ、魅力的なタイトル。


とどまる時もあれば、勢いにまかせる時もあるパソコン画面での購入。890円税別。
著者が外国人だと、各章の始まりにワケの分からん題辞、えーっとエピデンス?が入ります。が、これは訳が分かりました。
初っぱなは、カール・セーガンの『コンタクト』(映画にもなっています)からの引用。
たしかに、素数が知的生命体からの信号だと判断するシーンがある。
『素数の音楽』本文を読み進めると、同時並行でリーマン予想が『コンタクト』の謎解きとリンクしていき、カール・セーガンのすごさも再確認。大好きな『コンタクト』の深さを知り、とても幸せいっぱいでした。
ということで、審査員の勝手な思い入れもあり、
10月の一押しは、
『素数の音楽』でした。

残念ながら、僅差で『走ること・・・』は次点ということにしますが、、世界陸上でマラソンを優勝したトラックの女王、福士加代子さんの「マラソンを語る・・・」をとても聞きたいと思うのです。ムラカミやトクダのようなオタクには聞き取れない、トラックの音楽を聴いていると思うので。

『コンタクト』でエリーは言いました。
詩人を乗せるべきだった。と。

Q.11

10月 1st, 2013

奄美に帰って丸4年、

徳島が4年、

その前の4年いた松山で何年目のことだったか、

最後の1年は青木さんといっしょだったけど、その時の記憶に青木さんが出てこない、、

ということはそれより前、、

そういうぐあいにカウントして、10年くらい前のこと、、

それくらい経ってしまうと-私の場合だけかもしれないけれど-その事故の発生年月日も、足場から転落して亡くなった3次下請けのボーリングオペレーターの名前も覚えていない。

現場担当者だったのだけど。。

ヘリコプターで搬送され悪くなっていく容態、病院から遠く離れた自社会議室で長時間の待機、「弱者を救わないのですか」という本社上役の発言を忌々しく感じたこと、原因とされたウインチの現場テスト、さまざまな事後処理、元請けのペナルティと自社の駆け引き等々、鮮明に記憶しているのはそういうシーンだったりする。

事故のあと、そんな私のパソコンのデスクトップ背景は、事故発生後しばらくそのままにされた足場の写真だった。でも、とても重苦しくて半年もせず背景を変えた。すこし考えたので覚えている。

そして、おそらく、それから10年(?)、また関わることになった。

ドック場の転落事故で、運輸局かうちかと悩む労働基準監督官に「えーっと、、10年くらい前・・・」と話しをしたのはその事故だった。

あの時と違うのは快方へ向かっていること。何日たっても悪い知らせが病院からとどかないこと。

事故防止の対策は、見聞きし覚えたこと全てが正しくて、実体験を通しても理にかなっていると分かるのに、結局私に出来るのは、場当たり的な事後策をこうじて、もう二度とおきてほしくないと願うだけ。だって、たとえば平成7年の、江崎灯台の足場組み立て作業員に安全帯をつけてもらうよりも格段に難しいのだから。
そんな気持ちは、きっとサガンにしか分からない。どんな書評もサガンのことを分かっていない。
かも知れない。
9月はほとんど読んでいないので、

有名なタイトルですが、初めての通読玩読。十章いや九章あたりから最終章までのリズムのよさはとても心地よく、いいな、と思いました。

転落災害よ さようなら
転落災害よ こんにちは

 

・・・・・

転落した当組合員は、当日一人で作業をしておりましたが、事故発生時の音をきいて駆けつけて下さった近所の方、そして、その後の救急医療に携わった皆様、心から感謝いたします。また、関係機関各所には多大なご迷惑ご心配をお掛けしました、ここに深く詫び申し上げます。

水産業はなぜ このような水産業なのか-そしてどこへ向かうのか-

9月 4th, 2013

8月はいろいろとありまして、、それから、子供らの夏休みが9月まであったりしまして、すっかり忘れておりました。

文句なし、今年一かもしれない8月の一押し。

このタイトル、著者が青木さんでなければ、ハナクソほじりながらページをめくるかもしれません、いえ、手にも取らないかもしれませんが、そこは青木さんでした。著者の方がもっと警戒しながら、騙されないぞと取り組んでいるように感じました。第一章のルネサンス人コペルニクスの話(カント、ゲーテがうけた影響。科学と哲学の分岐)で完全にのめり込むも、章が進むにつれ、だんだん話についていくのが大変になります。四つの力、クォーク、最後はひも理論ですから。それでもがんばって着いていきます、青木さんのまとめがどうなるのか興味津々なのと、とても科学者達のキャラを立たせているので人間ドラマとして読めるから。そして終章は感動で涙が出そうです。いや、ほんと。

NHKスペシャルとかサイエンスゼロとかで映像化ですねー、絶対!

宮崎さんの次回作でもイイか。

ラジオ子ども科学相談室の小学生にはわかるまい、この面白さ。

と思う8月でした。

 

本屋で見かけたら、

終章の小見出し「グレーの階調の中の科学」p245から、立ち読みおすすめ箇所かなー。

所詮金貸しという銀行マンの矜持(池井戸さん原作のドラマ)とか、存在が意識を規定する(ごぞんじカールさん)とか、有名でないけどホモサピエンスの牢獄など連想させます。

締めの三行は涙腺全開かも。

 

そして青木薫ファンとしては、http://honz.jp/31964←ここの、マダニに噛まれたらどうなるかという写真と、マダニが血を吸ったら大きさがどう変わるかという写真が、

『宇宙はなぜ・・・』の図表の一部は彼女のオリジナルであろうことを連想させることがうれしく、

『宇宙はなぜ・・・』の著者紹介の写真は違う写真にしてほしいと残念におもうのです。

海と森と私と

8月 2nd, 2013

拾い読みなので、改めて読み直すつもりですけれど、、

7月のいち押しはコレ。

タイトルに”震災”とありますが、漁業の在り方を問う内容で、タイトルからのイメージより広い視野へ話は展開されます。思想・哲学のはっきりした主張であるため、たいへん歯切れもよい。そしてそんな本の著者が私と同じ69年生まれというのもうれしい。

第7章と第8章と、、いや、終章だけでも、、漁協役職員だけでも、、読んでほしい一冊。

抜き出して紹介したい箇所も多いですが、一つだけ。

・・・

東日本大震災からの復興を提言する内容には、今後はしっかりと資源管理を行うべきだという文言が目につく。まるで震災前はなにもしていなかったと受け取られてもおかしくない。そしてどうやら「資源管理」という言葉の裏にあるのは、北欧で行われている事例のようである。・・・アイスランドやニュージーランドなどでは、研究機関が資源量の再生産モデルを考慮し、はじき出した生物学的漁獲許容量・を参考にして、魚種別漁獲許容量・を決め、それを個別企業に分割する割り当て・、さらにそれを売買できる譲渡性個別割当て・制度が採用されている。漁獲量の枠を証券化できることから、市場万能主義に通じる制度であり、1980年代にサッチャー政権が誕生し、新自由主義路線を突き進んだ英国の影響を受けて導入された。この制度では、漁獲量の枠を守らなくてはならないが、漁獲枠の所有権は漁業とは関係のない都市部の人でもよい。漁獲枠内で漁民に漁獲させて利益を得るという構造だから、漁獲枠の所有者は地元の漁村や漁場がどうなろうともかまわないという意識をもちうる。つまり、権利から得られる利益さえあればよいという発想である。一方の漁業者は、所有者に言われるがままに魚を獲っていればよいという意識になりがちである。この制度のもとでは、漁業者は経営者ではなくサラリーマン、悪く言うと小作人という位置づけになる。漁村の地域経済の内発的発展よりも外来型開発を推進するという考え方が、この制度の背後にはある。つまり、漁村にいないクオータホルダー(漁獲枠の所有者)は、漁場利用者としての主体性をもつ必要はないから、主体的に漁場保全活動を行わなくてよい。他の漁場利用者と交わる必要もない。この体制は、机上の理論を実践に結びつけた事例である。漁民は新自由主義に舵を切った国家の経済体制の犠牲になったのである。こうなると、漁場に愛着のないものが漁場を使い、漁場を使い捨てにできる。しかもクオータが資金借入れの担保物件になるし、譲渡性であるがゆえにクオータは流通するので、海外にさえ流出する。・・・

・・・

こうした環境NGOの活動は、ほ乳類動物の捕獲や混獲、あるいは希少資源の漁獲を非難するものが多かったが、近年は資源管理と環境保全を重ね合わせて、漁業管理体制への非難も強めている。さらには、資源の悪化状況を消費者に問いかけて、持続可能な漁業を行っている漁業者から水産物を買うべきだとも訴えている。そして差別化を図るエコラベル・も広げた。一見、彼らの主張はもっともに思えるが、認識の浅さから生じる問題については、やはり看過できない。・・・

・・・

筆者の知るところでは、資源調査を自ら行うことなくデータを使った卓上の計算結果のみで判断する研究者の意見は現場では受け入れられず、漁業者と一緒になって研究を積み上げてきた研究者(水産試験場の研究員など)の意見は比較的受け入れられる傾向にある。つまり、後者の場合にはじめて相互関係のなかで信頼が醸成され、漁業と科学の共存が実現化するのである。そのことから、持続可能な漁業の実現は科学者の勧告を受け入れるかどうかにかかっているとするNGOの主張は、現実を知らない消費者を巻き込むことはできても、漁民に対してはたんなる圧力的言説にしかならない。彼らは、漁業と科学の関係者が信頼関係のなかで成り立つことを理解せず、漁民を科学にひれ伏せさせるために何を仕掛けるかが関心事であるかのように行動するのである。・・・

 

あ、

一つだけと思いながら、、。

とにかく、科学を否定しているわけではない、ということだけは付け足しておきます。

 

昨日の普及指導員さんとの打ち合わせの終わりに言いたかったのは、御用学者のビジネスや、なんとか産業化事業などなど、類似品と混同されないようにしたいものです。っつーことでした。そうでないと漁業者はそっぽを向くからで、ますます選択と集中からもれてしまいます。

最後に、

終章でちらりと、林業の衰退と関税撤廃、TPPと漁業の衰退の話を一緒に混ぜてしまっているが、これはいかがなものか。TPPは関税撤廃よりも、経済制度の一元化を図っていく方向性が問題というのはイイと思いますが。ここは削除した方が林学卒農学士に違和感を持たせることなく、全体が締まる気がしました(笑)。

大熊からの発想

7月 20th, 2013

やっと入手しました。

『地域主義の源流を求めて』(昭和55年発行)

7章大熊のカツオ船

奄美大島の名瀬市の市街地から名瀬湾沿いに北上し、東に大きく切れこんだ入江が大熊(だいくま)港である。この入り江にのぞむ、人口1,200人、戸数270戸の集落を大熊とよぶ。名瀬市の中心地からバスで約20分のところで、名瀬市に合併される前は三方(みかた)村に属していた。この集落に宝勢丸(59トン)、金鉱丸(59トン)という二隻のカツオ船がある。

この二つのカツオ船が注目されるのは、均等出資、平等就労、均等配分の三原則をかかげて見事にそれを実現させている点にある。二つの船が原始共産制ともいうべき三原則を成立させている背景には、後述するように今もこの集落に色濃く残っている共同体的なシステムがある。

ところで昨今、欧米諸国や日本、つまり先進工業国といわれているところで、労働者の経営参加、あるいは自主管理が論議され、あるいは実行されて、資本主義体制としては注目すべき新しい展開が試みられている。ところが、いまここに紹介するカツオ船の場合は、自主管理はおろか所有の共同化まで徹底させているのである。つまり資本主義のもっとも成熟したところで新しい試みとして追求されているシステムが、実は離島の共同体のなかですでに生かされていたのである。

大熊の二隻のカツオ船のうち、宝勢丸の方は任意組合として1922年(大正11年)に発足(水協法による漁業生産組合の設立は1959年)、金鉱丸は第二次大戦後n1947年に、宝勢丸にならって設立されている。そこで歴史の古い宝勢丸を例にとって、いかにしてこの船が三つの原則を確立し、どのような形で組織の運営をしているかをみてみることにする。

・・・本論は読んでのお楽しみ(?)ということで、、、

四代目、もっともっとワクワクすることしていきたい。どうせならやっぱ学生時代の専門、林学、水文学とも絡めたい。走りたいですね、最先端。でも、趣味の域をどう出るか、舵取りはむずかしいです。

木神さんが宝勢丸を説明するときつかうフレーズ、「六次産業の先進事例」、そのへんまでが出来るとこかな-。それはそれでいいんですけど、生き残るだけで大変ですし、、。

ちなみに、この章はこう締めています。

・・・つまり資本主義は市場原理を追求して行きついたあげく、結局は市場原理の制限を目指しているといった側面も見受けられる。ということになると、古い共同体をもとに成立している大熊のカツオ船が、実は時代の先端を走っているということになりはしないか。

 

P.S.猛司兄、メッセージありがとうございます(紹介に入ってます)。飲める日を楽しみにしてます。

日本語で楽しむ寺田寅彦

7月 13th, 2013

こどもが学校からもらって来たのだろう。

桜島大正噴火100周年パンフ、

昨日あたりからリビングにある。

昭和八年五月『鉄塔』で、寅彦さん

・・・災害記念碑を立てて永久的警告を残してはどうかという説もあるであろう。しかし、はじめは人目に付きやすい処に立ててあるのが、道路改修、市区改正等の行われる度にあちらこちらと移されて、おしまいにはどこの山蔭の竹藪の中に埋もれないとも限らない。そういう時に若干の老人が昔の例を引いてやかましく云っても、例えば「市会議員」などというようなものは、そんなことは相手にしないであろう。そうしてその石碑が八重葎に埋もれた頃に、時分はよしと次の津波がそろそろ準備されるであろう。・・・

昭和九年十一月には『経済往来』で、

・・・人類が進歩するに従って愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。砲煙弾雨の中に身命を賭して敵の陣営に突撃するのもたしかに貴い日本魂であるが、○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代に相応しい大和魂の進化の一相として期待して然るべきことではないかと思われる。天災の起こった時に初めて大騒ぎでそうした愛国心を発揮するのも結構であるが、昆虫や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的な様式があって然るべきではないかと思う次第である。

と書いています。(天然の強敵==>天災)

↑ から。

防災関係者はどう読むのでしょう。

私は、原子力発電所とか憲法改正とか国土強靱化などを連想します。

ちなみに、

寅彦さんの言葉とされる「天災は忘れた頃にやって来る」。

似たような事はたくさん書いていますが、

まんま、は書いてないんだそうです。

零の再発見

7月 1st, 2013

ある本の冒頭に、『零の発見』のことが書いてあって、、どうしてもそっちを先に読みたくなってネットで注文。

 

歴史の教科書に、零の発見、インド、という単語が並んでいた気がします。その時、数直線上のマイナス側への入り口くらいに思いました。が、

そうじゃない事が分かりました。

初版1939年のものなので、もったいつけることもありませんね。数の表記法で”0”を使ったということ。最初の20頁くらいで分かります。あとは、紙やら印刷術やら、その記数法の便利さと一緒に、広まった背景が書かれています。帯にあるとおり、「人類文化の歴史における巨大な一歩」だなーと感じました。

 

零の概念の発達を見たのはなぜか、

なぜインドだったのか、

”・・・なかには、これを「空」というようなインドの哲学思想と結びつけて考えようとしている人もないではないが、・・・”

ドキッとし、

”・・・それよりも、問題の本質はもっと技術的な方面から眺めて初めて明らかになってくるのではなかろうか。技術的というとき、・・・”

ニヤリとしました。

そうそう、あと面白かったのは、数学の歴史ってそうみると浅いな、とも感じたこと。

さすがの107刷りです。

数学の面白さとか、いかに役に立つかとか、

そういう本は沢山ありますけど、このおもしろさに肩を並べることが出来るのはそうありません。

ということで、

6月のいち押しでした。