島の森はどうあるべきか

8月 31st, 2010

島の森はどうあるべきか
 はじめに、森林はその機能を幾重にも同時に発揮する優れた特性を有しています。奄美に育ったわたしたちは、あまりにも恵まれた自然環境にあるため、その恩恵を当たり前のように享受して、森林が重要な役割を果たしていることに気付きません。木材供給、山地災害防止、生物多様性と景観保持、水源涵養、多岐多様に社会貢献しています。
 特に、島の宝、渓谷を走る清流やそこに生息するアユやテナガなどの動植物、サンゴやリーフ、8月のコバルトブルーの海は川上に位置する森林が健全に生育されて、その緑と命の水が谷を下り小川へ、川へ連なり川下の河口へ流れ込み流域の生態系、公益景観を保全します。もし、山が放置されて川上が荒れたら濁流となって川下の人間生活圏を脅かし、海を汚すでしょう。サンゴは死滅、魚は岩を泳ぐでしょう。
 わたしがここで述べることは、森がいかに掛け替えのない存在であるかということです。その森はただ放置して成林するものではありません。世界自然遺産登録の世論の高まる中、ただ手を付けないで森林全域を放置することが、あたかも自然保護であるごとく錯覚している方々が多々見受けられますが、森林は適正に更新されなければなりません。適正伐期齢を超えた加齢林や超加齢林は成長旺盛な林分へ転換することで二酸化炭素の吸収源として温暖化防止へ貢献します。必要部分皆伐によるパルプも循環型社会構築に欠かせません。
 森林の生態系は古くは、集落後背地はソテツ母樹を残し、雑木はまきや燃料として切り出され経済林として存在(自然保育下刈り)。奥山の大径木は材木として抜き切りされて利用され、資源循環林として自然間伐。さらにその先の深山は野生動物の食住として人との共生林として緩衝地帯を形成。人力の及ばない聖域は自然に保護され、亜熱帯広葉樹の競争界の中、自然淘汰され、生き残った大木は人間を威圧し魅了するのです(金作原など)。このように昭和30年後半までは農村社会は森林と密接なつながりがあり、均衡が保たれていました。
 この農村ののどかな光景や人々の営みが社会資産であり、公共財として保護、存続させなければなりません。それは、唱えて久しく、農林業の振興を図るということです。農林業は奄美の自然形成に付加価値を付けてきました。昨今の自然破壊は、過度な土木行政と油圧力で赤土をさらけ出す大規模な林地開発に起因するものです。
 今日、日本の木材輸入率は80%を超え、昭和30年代国産材自給率80%と反比例してパルプチップも輸入大国として、その原料を東南アジア、南米、オーストラリアなどに頼っています。これらの国々は今、森林の伐採を制限する傾向にあります。日本は今まで自国の繁栄を第三国の犠牲の上に謳歌してきたと言っても過言ではないでしょう。結果、自国の一次産業の大幅な衰退をもたらし、林業は産業としての存続が危ぶまれるほど危機的状況にあります。ここ、奄美においても、1994(平成6)年ごろパルプがほとんど停止、その労働がどこへ行き、島の経済に与えた影響は良いか、悪かったか、考察、検証すべき時が来ています。パルプチップ胎動を予感する中、工場用地買収をめぐって土地所有者の権利の侵害があり、極めて残念なことでした。何人たりとも弱者を犠牲にしてはいけません。
 森林振興と自然保護は不可分表裏一体であり、並立的共存は可能であることを申し上げ世論に一石投じることとします。

パチパチパチパチ。↑ オレじゃないよ。昨日の朝刊。

こんな地味な作業久しぶり。なんかに使えるでしょ。こういうことシャーシャーと書かないと。

あたかも自然保護であるごとく・・・でも、思うのでしょうね。同日の一面の写真の人達は。

半袖でクビから一眼レフカメラ下げて、整備された歩道の上に立っている写真でした。いつだったか、奄美新聞のコラムは、ドイツ林業を取り上げ、森林官、森林セラピーの話しでとても扇情的。おフランス好きだった今永先生(さすがはコンコルドをつくった国だって)のお話のようでしたが、森林伐採を敵視しているところが全く違います。日本での森林に関するイメージのアンケート結果(当時)がそのまま当てはまる写真のようでした。。。WRCもF1もゴルフもかの国の文化なんだよねー。

自然の生態系のバランスこそまさにwin・winじゃね?もっと自然に学ばないとねぇ。頑張れ理科系。

昨日の盛さんも締めているように、人間の生活も加えてwin・winのバランスとりたいけどなー。伐採もありだって。

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