いじめと生きる

3月 28th, 2011

娘が小学生になって初めて、一年間の皆勤を成し遂げた。
終業式の日、名古屋のおばあちゃんから届いた小包のなかに新聞の切り抜きが入っていた。

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2007年1月1日からの中日新聞の連載、「いじめと生きる」だ。
ずいぶん気にかけていたんだな、と思いながらも、漫画がとても面白いので、”しずかちゃんもただ見てるだけ”の見出しに大笑いして、数日ほったらかしにしていた。
さて、ネタにしようかと思い、サラッと読むつもりが、引き込まれてしまった。
いくつか紹介します。

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いじめが進行する基本構造は、「加害者(ジャイアン)」「被害者(のび太)」のほか、はやしたてる「観客(スネ夫)」と、知らぬふりを決め込む「傍観者(しずかちゃん)」による四層構造である。
いじめが繰り返されるのは仲裁に入る者がいないから。
スネ夫はその場の”風”になろうとしているだけ。懸命に。
既にいじめの起きているクラスと、起きていないクラスで、いじめにつながる行為を認知した時にどう対応するか聞いたところ、「加担」を選ぶ生徒の割合は大差なかったのに、「傍観」の割合は、いじめの起きているクラスの方が、起きていないクラスの2~3倍にも達し、「仲裁」は逆に、起きていないクラスが2倍近かったのである。
さらに、日本の子どもたちは成長しても、いや、成長するほど”風”に流されやすくなるというデータもある。
大阪樟蔭女子大学長の森田洋司(65)らが参加した「国際いじめ問題研究会」の調査結果。イギリスやオランダでは中学2年か3年になると、いじめの「傍観者」は減少に転じる一方、「仲裁者」は増加に転じるか減少が止まるのに対し、日本は学年が上がるほど「傍観者」が増え、「仲裁者」は減り続ける・・・。
”風”に流されるか、逆らうか。子どもたちは選択を迫られる。名古屋市東区の高2女子(17)は中学でいじめにあった。ずっと励ましてくれていた一番の友人から、ある時、「あなたをいじめておけば私たちが被害にあわないから、もう一緒に行動しないで」と告げられた。彼女は、その日、手首を切った。今も傷跡が残っている。
自身もいじめられっ子だったという映画監督・作家の森達也(50)も、大人社会の反映のことを思う。「テロや災害の発生で不安にかられ、多数派や強い側に身を委ねて『守ってもらいたい』というのが今の社会。その空気を吸って育つ子どもたちが”異物”と見られるのを恐れて、傍観者的になるのは当然です」
声優の肝付曰く。「スネ夫は”大人”なんでしょうね」
「ドラえもん」に、催眠術ごっこをするジャイアンが、うまくかからないのび太を殴るシーンがある。スネ夫は、それを横目につぶやく。
「かかったふりしてれば、いいのにな。ばかだな」

確かに、スネ夫のような考えを”大人”という。
リストカットのところは、自分が溜(ため)でなければいけないと思った。
もう少し書き出します。

いじめられても誰にも言わなかった、というアンケート結果。
東工大教授(精神医学)の影山任佐(58)が言う。「親が立派すぎると、子どもは弱みをみせられない」
中学時代、やはり親には言えなかったという名古屋市中川区の無職男性(23)も思い出す。「当時は、いじめられ、さらに頼るような弱虫だと親に思われたくなかった」
立派な親、ダメな自分・・・。子どもの側には、そんな気持ちの壁がある。影山が言う。「弱く、傷つきやすく、それでも何とか前向きにいきているんだという、等身大の自分を、親も、時には子どもの前でさらけだした方がいい」

さらけまくりで、少しは威厳がほしいほど。少し安心する。
湯浅氏の言う”溜”であり、この連載が言う”仲裁者”であり、賢治の言う”そういう者”でありたい。
言うは易し、行うは難し。であるが。

おばあちゃん、教師というプロフェッショナルの倉岡先生(女性)、そして妻。みんなが大喜びしていた。それに比べれば、お父っちゃんの感動のなんと薄いことか。。

http://www.youtube.com/watch?v=1NDbtrMD5fo

3 Responses to “いじめと生きる”

  1. リナ より:

    実は,のび太が一番強いのではないでしょうか。

  2. 宝勢丸4代目 より:

    そうですね。一番かは分かりませんが、強く生きてます。
    弱い者の気持ちが一番わかるでしょうね。
    ・・・・・
    イギリス、オランダに比して、日本が劣ると言うつもりはありません。
    大人が大勢自殺する日本です。
    重い槍にかける予算を、思いやりに回してほしいと思います。私は。
    DC

  3. tomoko より:

    通知票を見て、二人で泣きました。「丈夫になったんだね」と言うと
    「お母さん、体だけじゃなくて”心”も丈夫になったんだよ」と言いました。
    学校から帰ると「ここが痛い」と胸を押さえてポロポロ涙する子を前に”親の無力さ”に愕然としました。学校に行く事を代わってやる事は出来ない・・・”乗り越えられる力を与えてやって欲い”と、無信者ながら日々祈るばかり・・・。心は脳にあるはずが、しかし心はやはり胸のど真ん中にあるものなのかも・・・。無学の母は思います。
    長い人生から考えると、「皆勤」はほんの僅かな一歩!しかし、輝かしい一歩です!!グッジョブ!!!はなまるまるです!
    40を過ぎてもばぁちゃん、ねぇちゃん、夫・・・沢山の力に支えられている。若干10歳もっともっと転んだり、悩んだり、迷ったり、止まったり・・・no problem!
    「子育てmission」これからも頼みました。

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