科学を文学する

1月 29th, 2013

タイトルから想像する内容とは違いました。子育てを中心とした内容、Part1しか読んでいませんが、読了です。

おもしろくないからではありません。家庭不和の原因を社会的背景もまじえて説明、膝を叩く代わりにニヤッとしました。

特に、

ある日見えた核心・・・母親こそギリギリだった

帰宅不能症候群・・・お父さんも限界だった

という章立ては共感を呼ぶと思います。

「はじめに」で、著者が自身のことを”理系の人間なので・・・”と書いてありますし、”「先生、女は理屈なんて聞いていないですよ。事例を話すことです。母親はただ安心したいだけなんですよ」このひとことを、心から理解するのに、10年近くかかりました”とあります。

私は、そこが凄いなと感じました。

宮本武蔵やシャンクスや中村勘三郎、あの人やこの人の境地だと思いました。

型をつくるのは皆さんやりますけど、型をなくすのはなかなかです。

たまたま昨日、こんなメールをもらいました。

「背が低い」プレイヤーに「背が高くなれ」と言って殴るコーチはいません。でも、生得的な身体能力が高そうなのに、結果を出せないプレイヤーは「努力が足りない」と言って殴りつけることは正当化されている。「努力する能力」だけは全員に平等に分配されているということが前提されているからです。
メリトクラシーというのは、努力するものに報いる制度です。それは「誰でもその気になれば努力することができる」ということを前提としています。しかし、「その気になれば」というところに落とし穴があります。
世の中には、「その気になれる人間」と「その気になれない人間」がいます。この差異は個人の資質だけでなく、社会環境ともリンクしている、というのが苅谷さんの論のポイントです。「努力できない子ども」を「努力が足りない」と殴るのは「背が低い子ども」を「背を伸ばせ」と殴るのと変わりません。

これはニヤッとするかわりに、だね、と独りごちました。

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