日本語で楽しむ寺田寅彦

7月 13th, 2013

こどもが学校からもらって来たのだろう。

桜島大正噴火100周年パンフ、

昨日あたりからリビングにある。

昭和八年五月『鉄塔』で、寅彦さん

・・・災害記念碑を立てて永久的警告を残してはどうかという説もあるであろう。しかし、はじめは人目に付きやすい処に立ててあるのが、道路改修、市区改正等の行われる度にあちらこちらと移されて、おしまいにはどこの山蔭の竹藪の中に埋もれないとも限らない。そういう時に若干の老人が昔の例を引いてやかましく云っても、例えば「市会議員」などというようなものは、そんなことは相手にしないであろう。そうしてその石碑が八重葎に埋もれた頃に、時分はよしと次の津波がそろそろ準備されるであろう。・・・

昭和九年十一月には『経済往来』で、

・・・人類が進歩するに従って愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。砲煙弾雨の中に身命を賭して敵の陣営に突撃するのもたしかに貴い日本魂であるが、○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代に相応しい大和魂の進化の一相として期待して然るべきことではないかと思われる。天災の起こった時に初めて大騒ぎでそうした愛国心を発揮するのも結構であるが、昆虫や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的な様式があって然るべきではないかと思う次第である。

と書いています。(天然の強敵==>天災)

↑ から。

防災関係者はどう読むのでしょう。

私は、原子力発電所とか憲法改正とか国土強靱化などを連想します。

ちなみに、

寅彦さんの言葉とされる「天災は忘れた頃にやって来る」。

似たような事はたくさん書いていますが、

まんま、は書いてないんだそうです。

2 Responses to “日本語で楽しむ寺田寅彦”

  1. umimogura より:

    のど元過ぎればってやつですね。ちょっと時が過ぎると防災への備えに対する投資は“もったいない”とか“無駄”な投資,“過剰”な投資って感じになってしまうのです。そして被害の災厄の大きさにも心身が“麻痺”してしまうのです。確かに出費は抑えないといけませんが,身から出た錆,身から出た“負債”ならばきちっと自ら尻を拭わなくてはならないと思うのです。

    先人は良い言葉も残してくださっています。

    備えあれば憂いなし

  2. 宝勢丸4代目 より:

    さすがーumimoguraさん、ポジティブシンキング。つか、現実みてますね。
    ぼくなんか、「災害は想像を超えた規模でやってくる」です。
    備えても備えても憂いばかり、正しく怖がっていない、それは、杞憂、というそうな(笑)。

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